夢(未完成)

まだはっきりとしない意識の中で鳴るアラームの音、それを聞き続けていくうちに意識は鮮明になる。その間に今日が来たことを知り、私はベッドの上にある右から2番目の突起を押してその音を止める。それから目を閉じたまま手が届く範囲にあるものをひとつずつ触って確認していく。目覚まし時計、携帯電話、小さなぬいぐるみ、懐中電灯。時間をかけてそれらがきちんとそこに存在していることを確認する。指でなぞって読んだ線を、手のひら全てを使って組み立てながら。目を閉じていても輪郭がはっきりと見えるようになってから、私はようやく目を開ける。それから部屋を見渡して、やっと安心する。変わったことはないと。

あたしは夢を見ているの。まばたきする間くらいの長さの、それでいていつ終わるのかわからないような途方もない夢をね。あたしは確かに内側にいて、でもあなたから見たらあたしは表面かもしれない。夢と同じように、あたしもよくわからない。でもね、それは普通のことなの、当たり前のこと。意味はないの。

靴をつま先だけで履いて窓の外を眺める。ここでは何もできない。この窓から落ちる間に、いくつ夢を見られるのか数えながら小さく息を吸う。ここは消毒液の嫌な匂いがするから自然と口呼吸になってしまった。正しい匂いは嫌いだ。甘すぎて脳みそが溶けてしまうような、頭の悪い匂いのほうがよっぽどいい。私は、正しいものに囲まれるといつもどうしていいのかわからなくなる。正しいものが真っ当だとは限らないのに、皆それを信じて疑わない。口呼吸になったために、乾ききった唇の皮を噛む。剥けたところがひりひりと痛む。持ってきたペンとノートじゃ私の書きたいものは書けないような気がしたから最近は日記を付けるようにしている。ここで起こることなんて限られているけれど、こういうものが私には丁度いい。誰に見られてもいいような事実と少しの感想だけを書いたノートはいつの間にかあと半分になっていた。ここに来てからどれくらい経つのか、まるで覚えていない。それでもノートの1番最初のページを開く、なんてことは怖くてできない。私がその間に確かにそこに存在していた事実を確認するのは甚だ恐ろしい。遠くで誰かが歌っているのがきこえる。マイクの設定のせいなのか、霞んでいてよくわからないのに伸びた音が耳に付くので気分が悪くなった。

もう一度ベッドに入って目を瞑ってみる。こうしている間にだけ存在する不確かな世界は美しい。けれどそれ以上に恐ろしい。自分の中で渦巻いている美しさに飲み込まれないように私はいつでも必死なのだ。曖昧を守り続けることに。

あなたはいつも意味のないことを考えているね。それってそんなに大切?意味のないものに時間を費やすことに意味を見出そうとするのはとても滑稽に見えるよ。意味はいくら変形させても意味でしかないの。価値じゃないんだから。あなたがそれをどこまで理解してくれるかわからないけれど。

ここは荒野だ。全ての物語と同じように。私の脳内はそれを持て余し、どこかに行こうとしてしまう。夢を見たい、夢を見たい、夢を見たい。正しくない夢を、果てしない夢を。

横たわって自分の体の重さを自分で感じて、その重さにまた憂鬱になって寝返りをうつ。地元で1番顔が可愛い子の名前でメイドさんになってみたい。そうすることで殺せる感情がある気がする。そうすることで失うことができる私がいる気がする。体ごと空っぽにして、誰でもいい、その隙間に自分以外の誰かの要素をいっぱいに詰め込みたい。小学校のころ想像していた赤色が、理科室が、あの匂いが、虚しいだけだった。結局、全部虚しいだけだった。

真っ赤な

楽しいことだけを考えて生きていこうよ、例えばつまらない冗談を言っては私たちを苛立たせるあの英語の先生が風船みたいに膨らんでいって空中で弾けて肉片が散乱している教室でセックスしようよ。先生の肉で教室が真っ赤になった瞬間、僕の隣に座ってる君は笑って顔についた血を手で拭う。ざわめきがどんどん大きくなって聞こえなくなって、ついに誰もいなくなった教室に鍵をかけて服を着たままする。

「私たちがやったみたいだね」って君が悪い顔をするから僕は君の首を強く絞めたくなる。救急車なのかパトカーなのかよくわからないサイレンが鳴り響いて足音が聞こえるけれど、僕たちは聞こえないふりをする。黒い服を着た大人たちが教室を強くノックして何かを叫んでいるけれど、僕たちは絶対に離れない。頭がぐわんぐわんしていつかインターネットで見た蛇の交尾とその横を流れている沼みたいな赤黒い川を思い出す。

君の顔についた血はもう乾いて君のそばかすだらけの肌から少し浮いている。僕は君の顔についた血をそっと舐める。僕の唾液で乾きかけていた血が溶けて、口の中で滲む。さっきまでつまらない授業をしていた先生の血は君の経血の味と大して変わらなかった。先生って閉経してたのかな、閉経してから死ぬってどんな感じだろう、よくわからないけど、なんかありえない感じがする。君もいつか結婚してしまったり妊娠してしまったり閉経してしまったりするのかな、髪が伸びるみたいに胸が大きくなるみたいに自然に変化していくのかな、嫌だな、今が一番いいよ君は絶対、ああ嫌になってきた、とか考える。君の息の音も聞こえなくなったことに気づいてふと我に返ると、変なこと考えてたでしょ、と君が怒っている。変なことしか考えてないよって笑ってみるけど多分その顔は不自然で、君が少し不満そうにする。急に鋭い音がして廊下のガラスが割られる。血まみれで肉片が転がっている教室の真ん中でセックスしている僕たちは知らない人達に目撃される。今死のうかって君が耳元で囁く。珍しく真面目な顔をした君が僕の目をじっと見つめている。僕は死ぬと言われても何も思いつかなくて、でも今君と死んだ方がいい気もしてそっと頷く。君は人がいっぱいいる廊下に背を向けて窓のほうへ歩き出す。先生の肉片を気にせず踏んですたすたと歩く君の後ろを僕は慌てて追いかける。君がやろうとしていることは僕ももうわかっているけどここは2階だし飛び降りてもどうせ死ねないよ。やっぱり君はこうやって生き残って結婚してしまったり妊娠してしまったり閉経してしまったりする運命なのかもしれないね、ベランダに赤い上履きの足跡がつく。後ろから知らない人が追いかけてくる。さっきまで真面目な顔をしていた君が笑っている。君は僕の手を握って落下する。真っ赤な顔で笑って、落下していく。

教室の掃除用ロッカーで眠っているせみちゃんへ

私は、あなたがあの子に閉じ込められたんじゃなくて、自分からここに入っていったのを知っています。下駄箱に泥を入れたのも、トイレに閉じ込めて水をかけたのも、上履きに画鋲を入れたのも、机に花瓶を置いたのも、全部せみちゃんが自分でしたことだって、知っています

せみちゃん、そんな場所で誰にも気付かれずにうつくしく眠っているせみちゃん、私はあなたのことが好きです

誰かに好きになってもらおうとして作った嘘で塗り固められたその人格で誰からも好かれることなく、こんな場所で眠り続けることを選んだあなたの歪んだ美しさが好きです

だからどうか、どうかそのままの美しさでいてください。その美しさでは人を振り回すこともできない、だから、そのままでいてください。あなたが慣れなかったあなたが私はとても好き。おやすみなさい。

インターネットの

私はきっと最低です。最低だから、日記を続けて書くことすらできません。「さえ」と「すら」の違いすらわかりません。何一つ文脈を知りません。嫌いな人の悪口を好きな人と言いながら、好きな人に嫌われることをなによりも恐れています。好きな人に嫌いと言います。嫌いな人ににこにこします。にこにこしたあとにツイッターを開きます。スマホ依存症なのでよく腱鞘炎になります。自分の顔が嫌いなので人の顔のことも気になります。ご飯を綺麗に食べられません。そしてそれを育ちのせいにします。ホットドッグを食べて手をべとべとにしながら悲しくなります。賢いと思われたいので何も話さないほうがいい、といつも思っています。思っているのに嘘を誤魔化すみたいに口は勝手に動きます。嘘は誤魔化せば誤魔化すほど嘘として確立します。私は嘘をつくのが下手です。そしてそんな自分を可愛いと思ってほしくて必死になってにこにこします。にこにこしたくないのに自分のためににこにこするのは悲しいと思っています。悲しいときは歌を聴きます。歌は悲しみを綺麗にしてくれます。私をフィクションにしてくれます。感情に言い訳をしてくれます。私の好きな歌を君は知っています。君の好きな歌を私は知りません。君をストーキングして、その歌を知ってしまったときがあります。今は知りません。知らないことにしました。私は最低です。最低だから、何も知らないことにしました。

無題

指の皮膚のやわらかいところを噛みちぎる。鉄棒で出来た手のひらの豆が潰れたとき、1番に誰のところへ行ったんだっけ。鉄はいちばん赤に近いはずだから。土下座って全部濁音だね。感嘆符の数だけ存在する愛、を反語的に伝える、ことが確かに許されている世界で、2頭身のキャラクターがアドバイスをくれるのをずっと待っている。

輝いている。予想以上の絶望だった。代償としてだめになれるならそれでもいいかもしれないね。

「嘘なんかつけなくなってしまえばいい」

「きみの膝、あの人の顔みたいね」

「毎日知らない人から手紙が届くの」

 

目の見えない少女は手さぐりで歌う。

目の見えない少女は手さぐりで歌う。

目の見えない少女は手さぐりで歌う。

1/19 架空日記

朝起きると顔に付いていた”見える目ヤニ”を必死で追いかけていたところ、肥大化してしまったので、治すために鏡を1時間以上見続ける必要があった。私はずるをしようとたまに目を逸らしてしまったので、”見える目ヤニ”が元の大きさに戻るのに時間がかかった。元の大きさに戻ってから顔を洗い、靴下を探した。靴下は大抵靴の下に隠れているのだが、どの靴の下に隠れているかはわからないので探す必要がある。今日は冬に履くブーツの下にいた。抵抗する靴下を引き剥がし、私の足に来てもらう。このように、毎日靴下を履くだけで大変なのだ。

食パンとインスタントのコーヒー(Hold)を飲みながら日課の新聞を読む。文字がつるつると滑ってパン粉と一緒に私の膝に落ちる。調子がよくない日にはときどきこういうことが起こる。今日はそういう日だった。